2020/10/29 00:14
19〜20世紀前半頃、新聞配達で生計を立てなければ生きていけない状況にあった子どもたちがいました。
その子どもたちは、「paper boy」や「news boy」と呼ばれていました。
そして、ペーパーボーイが実際に新聞配達で使用していたバッグが「Newspaper Bag」です。
今回は、ペーパーボーイについて深掘りしていこうと思います。
<ペーパーボーイの生活>
記録されている中で一番古いペーパーボーイは、1833年にアメリカで雇われた当時10歳の少年です。
19世紀〜20世紀前半にかけて、新聞の需要が高くなり新聞配達の給料がいいことから、貧しい子どもたち(6~7歳頃から働き始める)が多く働いていました。
貧困の子どもたちは1日1日を生きるために、家庭の働き手としてお金を稼がなければいけない境遇にありました。
現在は「新聞配達」というと、本部から預かった新聞を自転車やバイクで各家庭に配達することが一般的だと思います。
しかし、当時の新聞配達はまだそのようなシステムはなく、親方から1日で配れそうな分の新聞を自分で買い、それを人通りの多い道などで手売りしていました。
そして、そこで出た利益が自分の給料となっていました。売れ残った分は、自分の損失となりました。
そのため、極度の貧困な子どもたちは、1日中外で新聞を売り続け、売れ残った新聞を寝床にして生活するホームレス状態の子ども達もいました。
また、立って新聞を売る場所は、年齢や力関係で決まっていて仲間の間で縄張り争いがあり、しばし喧嘩になっていました。
このように過酷な環境で生活している子どもたちが多くいました。
<子どもたちのストライキ>
ペーパーボーイは、苦しい生活を強いられていたのにも関わらず、とても勇敢な心を持っています。
それが顕著化したのが、1899年のニューヨークで起こった大規模なストライキです。
1898年にスペイン・アメリカ戦争の影響で新聞の需要が急激に高まり、出版社が新聞の価格を高騰させました。
この時は、戦争の見出しのおかげで売れ行きが良く何ともなかったのですが、戦後、通常の生活に戻っても出版社は価格を下げることはしませんでした。
そのままの高額な価格では新聞が売れないため、ペーパーボーイはまともに食事をすることすらできませんでした。
そこで、何人かのペーパーボーイが立ち上がり、仕事を放棄するよう他のペーパーボーイに声をかけ始めます。
すぐにその声は広がり、数百人のペーパーボーイたちが集まりました。
これが大規模なストライキの始まりです。
そして、真夏の数日間、彼らはブルックリンの橋の上をデモ行進し、何時間も交通を停止させ、新聞配達をできないようにしたのです。
それは多くの人々の注目を集めると同時に、出版社の運営の継続を困難にすることに成功しました。
このストライキが功を制し、出版社とペーパーボーイの契約が改善されることになりました。
このような苦境の子どもたちの勇敢な行動は、誰もが学ばなければいけないことでしょう。
<最後に>
今ではファッションとして人気のある「Newspaper Bag」には、このような時代背景があります。
ぜひこのモノの背景を、身に着ける際のこだわりにしてみて下さい。